9月後半の日記ぢゃないけど
2003/09/29(月)挨拶(あいさつ)2
ご近所の方々には日頃から挨拶するように心がけている。相手によっては会釈程度の場合もあるが、なるべく声に出して「こんにちは」とか「こんばんは」とか言うように心がけている。自宅録音などでどうしても音を出す場合もあり、そんな時は「いつもうるさくしてすみません」と挨拶すると「うちこそ娘が友達連れて来てうるさくしてて・・」などと返してもらえるので、やはりコミュニケーションは大切だと感じる。この習慣が実行出来ていることに関して、私は母にたいへん感謝している。小さな頃から「近所の人にはちゃんと挨拶しなさい。特にお年寄りにはきちんと挨拶しなさい。」と教育された。ある日も「あんた、○○さんのおじいさんに挨拶してるか?」とか言いながら、いかに挨拶が大切かを語り始めた。「もし、あんたが何かの間違いで他人を殺めてしまったとする。あんたは捕まって、警察の人が調べに来る。そんな時に、近所の人に『外で会うても挨拶もせえへんにいちゃんやったなあ。』て言われるのと『いやあ、いつも挨拶してくれる愛想のええにいちゃんやったで。』 て言われるのとでは、罪の重さがぜんぜん違って来るんや。」と説明されたのだが、これって説得力があるのだろうか?それとも「しゃれ」だったのか?いずれにしろ、そんなことも記憶しながら挨拶している私がいるということは、母の教育は正しかったのかも知れない。しかし、変な親子だ。
2003/09/26(金)豊かな国
昨日(25日)は、小雨がぱらつく天気で傘を持って外出した。渋谷のハチ公口を出た時も小雨で傘を広げた。ハチ公前のスクランブル交差点で信号を待つ。上を見上げると、大きなTV画面で何かの宣伝をやっている。液晶とかプラズマとかの画面なのか?なかなかの鮮明な映像が見られる。音もうまく加工されていて、うるさくなく聞こえる。その隣のビルの窓には「日経ニュース」という、電光掲示板(?)の大きな文字が流れている。何れもすごい技術に違いない。また、たいへんな費用がかかっていると予想される。不景気だと言われながら豊かな国だと思う。「日経ニュース」に「25日の天気」(つまりこの日、今日の天気)の文字が流れ始めた。「東京『雨』・・」それって、今のことでしょ?そんなこと言われなくても知ってる。今、雨が降っている。私は今、傘を差している。もし、今、雨が降ってなかったら、どうするんだろう?と思うぐらい無駄な情報である。そんな無駄な情報までがんがん流れる豊かな国、豊かな町に暮らしているのだと思った。
2003/09/23(火)挨拶(あいさつ)
週末から急に涼しくなったのを通り越して寒くなった。その前の日までTシャツ・短パンでも汗をかいていたのに、上着がないと過ごせない気温になった。我々はわがままなので、暑い時は「こう暑くっちゃやってらんない」と文句を言い、涼しくなったらなったで「急に寒くなったね」と言い合う。京都には、雨の日の挨拶に「ええお湿りどすなあ」というのがあるが、誰でも外出が億劫になる雨の日に、こういうしゃれた挨拶はカッコイイと思う。じゃあ急に寒くなったここ数日はどんな挨拶が適当かと考えてみた。「鍋が食べたくなりますね」も悪くはないが、そう思わない人もいるかも知れぬ。「やっと衣替えが出来ますね」というのもピンと来ない。こういうのはどうだ。「布団を着て眠れるのは幸せですね!」これはいいのではないだろうか。夏はどうしても布団をけっ飛ばす。布団の中で眠れる幸せというのはこの季節、誰でも感じているのではないだろうか。と、考えながら天気予報を見ていたら「この涼しさも2〜3日。週末からまた残暑が戻って来るでしょう。」とのこと。「また夏に戻るのかよう!」と文句を言うのでした。
2003/09/19(金)呼び名3
かつて、私のことを「ガッコ」と呼ぶ女子高校生の生徒がいた。レッスン中に「ねえねえ、ガッコお」と呼ぶので、「ガッコ(と)言うな!(呼ぶな)」とたしなめたのだが、その後、こそっと「ホントはガッコ(と)言うて(呼んで)いいからな。3回ぐらい言うていいからな」と説明。「あっ、いいんだあ」と答えながらもピンと来ない様子。「だからな。『ガッコ言うな!』って言うても、もう1回ぐらい『ガッコお』って来てくれたら、『だからガッコ言うなって言うてるやろ!!』っていけるからな・・」と お笑い関係の指導もおこたらない。「わかったあ」と答えた彼女であったが・・・ある時「ねえねえ、ガッコお」と来たので「ガッコ言うなって言うてるやろ!」と定型通りに答えたら、なんと!「ホントは呼んで欲しいくせに」と抑揚をつけて返してきたのである。私も先生らしく(?)ふるまわなくてはいけないので「あらっ、ばれてたあ?」と、返してはおいたが・・・さすがは高校生。例題をひとつ説明しただけで応用問題までこなしてしまうのだなあ。
2003/09/16(火)ドパドパ・ドーパミン
先週は大変忙しかった。この「日記ぢゃないけど」を読み返しても見事な壊れっぷりで、相当とっちらかっていたことが想像されて面白い。その「とっちらかり」も先週末土曜日の「ゴスペルナイト2003」でクライマックスを向かえた。なんとこの私が、この小さな私が、有楽町国際フォーラムAという、それはそれは大きな舞台で、200人以上という、これまたどでかいクワイヤのコンダクトをした。それも、パイレーツ・オブ・カリビアンの衣装を着け、時にはクロマチックハーモニカを吹き、真面目なのかギャグなのか分からない、ある意味強力なパフォーマンスを展開した。舞台に上ると緊張しているのは間違いないのだが、これが不思議なくらい楽しくなってくる。数千人のお客さんが見ているのだろうが、そんなことはどうでもいい。それより200人以上のクワイヤが私に注目している。私が笑えばみんなも笑う。私の指先3寸(?)で200人以上が揺れる・止まる。アルファ・エンドルフィンだか、ドパドパ・ドーパミンだか分からないが、脳内麻薬がドパドパと噴出していたに違いない。恍惚とした濃密な空間と時間を経験した。これも長い準備期間とプロセスがあったからこそ経験できることで、スポーツ選手の不思議なコメントなどと似ている気がする。打ち上げでのみんなの強力ハイテンションも理解できる。思い切り疲れて帰宅した後は、留守録しておいた世界柔道の応援。格闘技ファンの私は技がかかるたびに一喜一憂するのだが、その途中で全く声が出なくなった。「ドパドパ・ドーパミンが切れたんだなあ」と思った。