2009/05/29(金)炊飯器の電池5
どうでもいい話が長く続いて申し訳ない。炊飯ジャーの内蔵電池は量販店で売っている250円のボタン電池であることが分かった。もちろん迷わず、かっ飛んでって購入。もう突き進むしかない。古い電池は電極に直に半田付けされているのだが、特殊な半田なのだろうか?まさか溶接されているのではないだろうが、私の使っている130W(ワット)の半田ゴテではびくともしない。長い時間、半田ゴテをあてても電池は大丈夫なのだろうか?熱をかけすぎて爆発したりしないか?と心配になる。なんか恐くなってしまったので「もう壊れてもいいやあ」と力ずくでひっぺ返したら電池を挟み込んでいた電極がぐんにゃりと変形してしまった。うわあ。電極をなんとなく元通りの形に整形し、試しに新しい電池をはさんでみると・・液晶表示が戻ってくるではないか。これはもうオーケーだ。(何がオーケーなのかは分からないが)電極を痛めつけたことだし、その電極にボタン電池を直接半田付けするのはなんとなく気が引けた(というか、自信がなかった)ので、短い電線を使うことにした。先ずは電池の両極に導電性銅箔テープ(何でそんなマニアックなモノを持ってるかと言うと、エレアコのブリッジアースを取るために秋葉原で購入。しろこにもくろこにもオードリーのブリッジにも貼ってある)を貼り、ビニール皮膜の短い配線材を半田付けする。そして、その配線材を元の電極にからげて半田付けすると、めっちゃはっきりくっきり液晶表示が表れた。大成功だ。あとはバラバラになった各パーツを組み立てるだけ。最後はちょっと苦労したかな?なんとか元通りに戻して時計を合わせる。あっはっはっは。250円で電池交換が完了したぜ!あっはっはっはー。
2009/05/27(水)炊飯器の電池4
数回前からの続きの話。炊飯ジャーの内蔵電池の交換。一度は断念したのだが、悔しくて仕方がないのでリベンジすることにした。まず、本体をひっくり返して数本のプラスネジを外す。前回はここまでで恐くなって引き返してしまったが、今回はWebで「コンセントが抜いてあれば感電の心配はない」という専門家の意見を見つけてあるので大胆に行動できる。どのあたりに電池が入っているかも予想できたので、そっち方向のネジを外し、思い切って引っ張ると全体がバラバラ?になって基板部分が露わになった。もう、後戻りはできない。電池は100円玉くらいのボタン電池で、Webでの情報どうり基板から出ている電極に直にくっつけてあり、簡単には外せないようだ。これも製造コスト軽減の為なのだろうが、不親切この上ない構造である。かろうじて電池の型番は確認できた。「TOSHIBA CR-2450」と書いてある。特別な電池なのであろうか?早速近くの量販店に電話をして問い合わせる。「互換性のあるSANYOのCR-2450なら店頭に在庫がある。」とのこと。普通に売ってるボタン電池の一種かよ。そして驚いたことに250円!であるとのこと。安っ!ごめん、また続いた。
2009/05/22(金)炊飯器の電池3
またまた前回からの続き。炊飯ジャーの内蔵電池を自らの手で交換すべく分解を試みるも途中で断念。深い敗北感でかなり悔しい。時間が経過するうち「悔しい」が次第に「怒り」に変わっていくことになる。電池などという消耗部品は簡単に交換できるようにしておくべきだ。どのメーカーも同じ様な仕様で炊飯ジャーをデザイン、製造販売しているようだが、とんでもないことだ。消費者をバカにしている。これをきっかけに買い換えをさせようという各メーカーの策略ではないか!沸々と怒りがこみ上げてくる。私はそんなへたな策略には、はまりたくない。Webで何か情報がないものか?と探してみると、やはり同じ様なことを考え、怒り、孤軍奮闘している人がいる。電池交換は簡単ではないようだが、ある程度の知識?と根性!があれば素人でもできなくはないようだ。さすがに私の使っている三菱製の同じ機種を解剖した例はなかったが、けっこう丁寧に解説してくれているページもあり、炊飯器のどのあたりにどんな電池が入っているかは充分に想像できた。勇気が湧いてくる。そして最後に私の背中を押したのは「コンセントが抜いてあれば感電の心配はない」という専門家の意見であった。よーーし、リベンジしてやる。また続いてしまいました。
2009/05/20(水)炊飯器の電池2
前回からの続き。炊飯ジャーの内蔵電池が消耗した。その交換には8千円から1万円位の費用がかかり、2週間ほどの期間を要するとのこと。電池がなくても、お米は全く問題なく炊ける。タイマーを使おうとするとちょっと面倒というくらい。そのくらいのことで8千円から1万円という大きな出費の上、さらに2週間の不使用という不便は「割りに合わない」と判断し、電池交換を断念した。が、なんか納得できないというか、むかっ腹が立つ。そのうちに沸々と「俺がやってやる」という正義感に似た?感情がわき上がり「よーーし」と意を決して分解してみることにした。本体をひっくり返すと数本のプラスネジで止めてあるのがわかる。そのネジを注意深く外すと、内部がむきだしになった。本体底には太い電線がぐるぐる巻きになっていて巨大なコイル?のような形になっている。もちろん始めて見たのだが、かなりいかつい。何かちょっと恐い。これ以上どこのネジを外せばいいのか、どこを分解したらいいのかが分からない。眺めているうち「どのくらいの電気が流れているのだろう?ひょっとして蓄電してるかも?感電したらどうしよう」と考えるようになり、当初の「俺がやってやる」という感情は「プシューー」と音を立ててどこかに消えていった。そして敗北感にさいなまれながら外したネジを元に戻した。くやしーーです(ザブングルでよろしく)。まだ続くのかな。
2009/05/18(月)炊飯器の電池
少し前の話であるが・・炊飯器の内蔵電池がなくなったようで時刻などの表示が出なくなり、タイマー予約が使えなくなった。あらためて取扱説明書を開いてみると、内蔵電池の寿命は4〜5年であるらしい。もう4〜5年も使ってきたのだろうか?私にとってはかなり高価な商品であったが、思い切って奮発!して購入し、たいへん気に入って使ってきた。日記ぢゃで書いた「マニアックな米屋の五分搗米」もめっちゃ美味しく炊ける。取扱説明書には「電池は電機部品に固定されているので、交換はお買い上げの販売店にご依頼下さい。(有料)」と書いてある。なんだかすごくめんどくさいぞ。早速、購入した量販店に電話で問い合わせてみると「内蔵電池の交換は8千円から1万円位の費用がかかります。2週間ほどの預かりとなります」とのこと。電池の交換に8千円から1万円もかかるなんて信じられないし、2週間もごはんが炊けないなんて!考えられな〜〜い、ではないか。消耗部品であるなら、容易に交換できるようにしておくのが当たり前であろうし、1万円もかかるなどというのは消費者を完全にバカにしている。今回の場合、ごはんが炊けなくなったわけではなく、タイマーが使えないだけ、というか、そのたびに時計を合わせればタイマーも使えないわけではない。「電源プラグを抜くと、時計表示や予約などの記憶が失われる」という、つまり「ちょっと不便になっただけ」という状態である。その為だけに1万円は出せないなあ。と、一度、あきらめてしまった。長くなりそうなので続きます。
2009/05/14(木)エコポイント
「エコポイント」という省エネ家電の普及のための追加経済対策とやらが決まり、なんと明日、5月15日からの実施であるとのこと。冷蔵庫やエアコン、地デジ対応TVなども含め、省エネ家電の購入で国からポイントが支給されるらしい。しかし、これってちょこっと間違っていないか?家電を買い換えることが果たして「エコ」であると言えるのだろうか?冷蔵庫やエアコンは省エネ化が進んで、10年前の製品に比べると消費電力が約半分近くにも押さえられていると聞く。そうであっても、古い家電を廃棄するにはそれなりにエネルギーが必要であろうし(廃棄に数千円のお金というエネルギーも必要だぞ)、まだ使える家電を廃棄することは絶対に「Mottainai」である。さらにそのエコポイント、1ポイント1円で「でっかいTV」などでは、最大39000ポイント支給される商品もあるらしい。おいおい、ここでも何か間違っていないか?でっかいTVってエコなのか?さらに不思議なのは、「そのポイントがどうやって支給されるか?」は決まっていないというし、もっともっと驚いたことには「この制度を運営する事業者を公募中」だというのだ。つまり、誰がこのエコポイント制度を行うか?も決まってないというのだ。明日から始まるというのに。いったいどこの国の話なんだ?ここはNIPPONだぞ。
2009/05/05(火祝)ロックは歌詞だな
忌野清志郎さんが5月2日、癌で死去した。享年58。悲しい、残念だ、そんな言葉しか見当たらない。06年7月に喉頭癌と診断されたときにはめちゃめちゃ心配したが、08年2月には日本武道館で「完全復活祭」と銘打った復活コンサートでは絶好調の回復ぶりを見せつけてくれた。やっぱりこの人はすごい!と思った。関連番組でも絶好調で、よかったよかったと思っていた矢先、7月に癌の左腸骨への転移が発見され、再入院したとのこと。その時も闘病の明るい(?)ニュースを聞いたこともあったと思うのだが、5月2日、彼は神に召されてしまった。 誰もが復活を期待していたに違いない。残念だ。他に言葉が見当たらない。RCサクセションのライブアルバム「RHAPSODY」(ラプソディ)は擦り切れるほど聴いた。それまでの忌野氏のアルバムも聴いていたが、「RHAPSODY」の衝撃はすごかった。当時、大好きでライブビデオも観た。めちゃくちゃ暴れまくった(?)ステージの後、観客の熱狂が聞こえるアンコール前の楽屋、すごく冷静な彼はタバコをくわえ「ロックは歌詞だな」と小さくつぶやいた。私は忘れはしない。そういうことなのだ。ロックは歌詞なのだ。私は彼の足下にも及ばないけれど、彼の言ったその「ロックは歌詞だな」は、めっちゃ解るし、すごくうれしかったし、「やっぱ清志郎さんは違う」と思った覚醒の瞬間だったと思う。有り難うございました。でも、悲しいです。合掌